『京橋火の見櫓』が登録文化財に決まる
 2006年1月20日
 岡山市を北から南へ流れる一級河川「旭川」にかかる「京橋」の西詰めにそびえる『京橋火の見櫓』が登録文化財に決まった。
『京橋火の見櫓(中央)』と『旭川(右)』と『川崎町(左)』 撮影日2006/1/22
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 日の出前から威勢の良い掛け声が響く,毎月一回開催の恒例「備前岡山京橋朝市」の会場の中心位置に『京橋火の見櫓』は建てられている。昨年9月には望楼の屋根の補修及び錆び落とし,そして塗装を行い,銀色に輝く美しい姿を取り戻した。
京橋朝市の初市にて 『京橋の火の見櫓』登録文化財に決まる 撮影日2006/1/8

 塗装工事前は鋼材表面の痛みがひどく,そして岡山市消防局が撤去を検討した。その話を聞いた地元の川崎町は,町内会を中心にして内山下地区連合町内会から2004年に,岡山市に保存を求める嘆願書を提出。調査した岡山市教育委員会文化課は登録文化財に申請することとなった。
塗装工事前の火の見櫓 『京橋の火の見櫓』登録文化財に決まる 京橋朝市会場にて 撮影日2005/6/5

 川崎町町内会長「吉田敏治」(80)
 この周辺で60年以上前から残っているものは,火の見櫓と京橋です。住んでいる人たちにとって心の落ち着きを取り戻す象徴的な風景です。塗装をしていただいたおかげで立派な姿となり,「坪田利吉さん」もさぞかし喜んでいると思います。利吉を顕彰し地域で大切に守って参りたいと思います。


 岡山市消防団内山下分団分団長「松浦満」(58)
 地域で守る宝です。坪田利吉がいたことをいつまでも後世に伝えたい。


 京橋朝市実行委員会委員長「大島正勝」(60)
 岡山空襲で焼け野原となったが戦後の復興により岡山市の物流を担う所として大変賑わい,時代の流れと共に空洞化となり,京橋朝市にはもう一度賑わいを取り戻そうと続けること200回を超え再び人が集まるようになった。町の歴史を見下ろす『京橋火の見櫓』をこれからも大切にしていきたい。みなさんの知恵と理解と協力をいただきながら今後も維持管理を続けて参りたいと思います。

(敬称略)

◆「坪田利吉」(1870〜1944)はよろず屋「万納屋」を営み,行商に励んで得た私財を投じ,多くの慈善事業に取り組む。晩年は岡山市内で消防局に火の見櫓を寄贈,その数は12基といわれ現存は4基。その中で最大の『京橋火の見櫓』は高さ21メートル,L型鋼材をリベットで留めた構造の4脚の櫓。半鐘は火の見櫓から外され別の場所で大切に保管されている。

◆この場所は,JR岡山駅から南東へ1.5キロにある。岡山電気軌道東山線西大寺町停留所下車,徒歩5分。

◆周辺には,日本建築学会選奨土木遺産『京橋』,水道事業100周年・登録有形文化財『京橋水管橋』がある。

<リンク>
橋本町(単位町内会ホームページ)

文部科学省(文化審議会)
文化庁(文化財の保護)
文化庁(登録有形文化財)

登録有形文化財について - Wikipediaへリンク
 本文より:登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)は1996年(平成8年)の文化財保護法改正により創設された文化財登録制度に基づき文化財登録原簿に記載された有形文化財のこと・・・。

文化財 - Wikipediaへリンク




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